3/1(土)〜3/16(日)の10日間、濱口竜介監督・酒井耕監督によるドキュメンタリー映画「東北記録映画三部作」をお届けします。

〈トークイベント〉
3月15日(土)19:00〜21:00
濱口竜介監督と酒井耕監督によるトークイベントを開催します!お二人にはオンラインで登壇いただき、その様子をジグシアターの会場スクリーンに投影します。司会進行はジグシアターの柴田が担当し、会場からの質問も受け付けます。(※配信は行わず、会場でのみご参加いただけます)


ここに、被災の風景はほとんど現れない。
あるのはただ、語ること、そして聞くことだ。

『なみのおと』、『なみのこえ』(『気仙沼』編、『新地町』編)、『うたうひと』は、酒井耕、濱口竜介両監督が東日本大震災の被災地で、2年の歳月をかけて丁寧につくりあげた東北三部作である。しかしここに、被災の風景はほとんど現れない。あるのはただ、語ること、そして聞くことだ。
『なみのおと』、『なみのこえ』では、夫婦、親子、兄弟、姉妹、同僚といった親しい関係にある人々が、あらためて、それぞれ相手と向かい合い、震災と向かい合い、話を交わす。通常は生涯を通して出逢うことももなかっただろう強烈な体験が引き金となって、彼らの対話は人間関係の本質に深く触れはじめていくのである。
一方『うたうひと』は東北の民話語りを題材に、みやぎ民話の会、小野和子の活動を追ったものだ。震災を直接扱ったものではないが、人はすぐにも『なみのおと』、『なみのこえ』と通底し、呼応しあう、まったく同じ「態度」を見て取るだろう。語ることと聞くこと。聞くことと語ること。今、もっとも忘れてはならない一つの態度を、この三部作は語りかけようとしている。

 


 

[Official introduction]

2011年10月に発表された『なみのおと』。この映画から酒井耕と濱口竜介の東北地方沿岸部での津波被災者への聞き取り活動は始まりました。その2作目となる『なみのこえ』における聞き取りは宮城県気仙沼市、福島県新地町の人々の声に焦点を絞ることで、町と個人を同時に浮かび上がらせます。そして3作目『うたうひと』は個人の体験を100年先の誰かに伝える1つのモデルとして、東北地方伝承の「民話語り」をカメラに捉えました。酒井・濱口の東北三部作は個人の「語り」とともに、それを「聞く」者の存在をはっきりと示します。「聞く」ことは、次代への伝承の条件であると同時に、震災が露にしたいくつもの分断線を越えていく術であるからです。

・記録と伝承
東日本大震災の映像記録として、家庭用のデジタルカメラや小型ビデオカメラで撮影されたその場の写真や映像は正確な資料として、100年先にも残るでしょう。しかし、こうした記録は果たして「現実感」を伝えるのに十分なものでしょうか。大災害を実際に体験した方たちはつよい現実感をもっていますが、月日の経過に伴い、体験者自身の中でも風化にして行ってしまでしょう。忘れることは、生き続ける事でもあります。膨大なデータベースの「記録」とは別に、災害に向かう「現実感」を、時間を越えて伝承していくことが必要です。

・時代を越えた伝承
体験の「現実感」を時間と空間を隔てた人にどう届けるか。私たちはその可能性を「民話」に見ています。東北地方で多く語られる「民話」は、はるか昔から口伝えで語り継がれてきました。人から人に語り継がれる中で個人の体験談は抽象化され、その地域特有の物語として保存されたものが民話です。この民話は、その土地の地形や風習の中に入り込み、生活の中で繰り返し思い出され、時代を越えて伝わってきました。その土地で民話が語られるとき、語り手と聞き手の間に同じイメージが共有され、現実の空間と民話が重なり合います。その場に、感情を伴った強い現実感が生まれるのです。

 


 

なみのおと

2011年に津波の被害を受けた三陸沿岸部に暮らす人々の「対話」を撮り続けたドキュメンタリー映像。姉妹、夫婦、消防団仲間など親しいもの同士が震災について対話し、そこから生成される人々の「感情」を映像に残すことで当事者としての記憶を伝えようという試み。
岩手県田老町の女性によって読まれる昭和8年3月3日の大津波の紙芝居にはじまり、気仙沼、南三陸、石巻、東松島、新地町と南下しながら、消防団員や市議会議員、夫婦や姉妹など、親しい者同士や監督との対話が行われる。津波の恐ろしさや悲惨さと復興への強い思いが混在したその声には、聞き手の存在によってこそ生まれる情感、現実感があり、未来へと伝えるべき貴重な価値を宿している。
移動の間に朗読される昭和8年津波被害を記録した山口弥一郎のテクスト、冒頭の紙芝居、土地の風景や音とともに、幾度も津波に襲われた歴史をもつ三陸の姿とそれでもそこに住み続ける人々の意志とが描かれ、故郷とは何かという問いが自ずと発生する。土地の記憶を切断してしまった出来事を、語り継ぐ言葉のひとつひとつがその答えなのかもしれない。濱口竜介・酒井耕監督による東北記録映画三部作 第一部。

2011年/ドキュメンタリー/日本語/カラー/142分
監督:濱口竜介・酒井耕 撮影:北川喜雄 整音:黄永昌
制作者:堀越謙三・藤幡正樹 制作:東京藝術大学大学院映像研究科

 


 

なみのこえ 気仙沼 / なみのこえ 新地町

『なみのこえ』は、2011年に製作された『なみのおと』の続編であり、前作を踏襲する形で東日本大震災の津波被災者に対するインタビューから成る。前作『なみのおと』では震災から約半年後、岩手から福島に渡る広域で記録したのに対し、『なみのこえ』は震災から約一年後に福島県新地町と宮城県気仙沼市に絞って記録した。 私達がインタビューをしていく中で心がけたことは、聞く相手を被災の過酷さや体験談の鮮烈さによっては選ばないということだ。私達は出会った多くの被災者に「私たちよりもっと悲惨な体験をした人がいるから、そちらに聞いて欲しい」と何度となく言われた。地震でライフラインが止まった人、家の半壊した人、家を流された人、親しい人を流された人、家族を波に呑まれた人…。どこかにある「被災の中心」から離れるほど「語れない」。彼らは被災したにもかかわらず、被災した度合いによって「負い目」を感じているようだった。しかし、その「被災の中心」を求めて行く先は、もはや声なき死者である。決して聞けない「死者の声」が生き残った人々の声を封じていた。本作に登場する21人は単に震災のことだけを語るわけではない。彼らは被災体験を語り合ううちにインタビューを「おしゃべり」へと変えていく。そこにあるのは「被災者」の声ではなく、彼ら一人ひとりの声だ。私達はこの声を100年先まで残したいと考えた。100年後の未来、私達は同じく死者であり、この映画は「死者の声」になっているだろう。この映画に収められた彼らの声と、今は聞くことのできない波に消えた声が、100年後の未来でつながっていくことを祈って、この映画『なみのこえ』は撮られている。

2013年/ドキュメンタリー/日本語/カラー/109分(気仙沼)|103分(新地町)
監督:酒井耕・濱口竜介
実景撮影:佐々木靖之・北川喜雄 整音:鈴木昭彦・黄永昌
カラリスト:馬場一幸 制作:silent voice LLP 制作者:芹沢高志・相澤久美

 


 

うたうひと

酒井耕・濱口竜介監督による『なみのおと』『なみのこえ』に続く東北記録映画の第三部。 昔話/伝説/世間話といった地域固有の物語を伝える「民話」。その価値は単に物語の意味内容に留まるものではない。奇想天外な登場人物たち(ときに動物、鬼、もののけ…) や、突拍子のない展開は、彼らの先祖たちが厳しい暮らしや残酷な現実の中から作り出した「もう1つの世界」でもあった。二人は前二作における「百年」先への被災体験の伝承という課題に対して、東北地方伝承の民話語りから示唆を得る。栗原市の佐藤玲子、登米市の伊藤正子、利府市の佐々木健を語り手に、みやぎ民話の会の小野和子を聞き手に迎えて、伝承の民話語りが記録された。語り手と聞き手の間に生まれる民話独特の「語り/聞き」の場は、創造的なカメラワークによって記録されることで、スクリーンに再現される。背景となった人々の暮らしの話とともに語られることで、先祖たちの声がその場に甦る。映画と民話の枠を超えた、新たな伝承映画が誕生した。物語の考察なども含め十数話を収録。

2013年/ドキュメンタリー/日本語/カラー/120分

出演:伊藤正子・佐々木健・佐藤玲子・小野和子(みやぎ民話の会)
監督:酒井耕・濱口竜介
撮影:飯岡幸子・北川喜雄・佐々木靖之
整音:黄永昌 タイミング:定者如文 制作者:芹沢高志・相澤久美 制作:silent voice LLP

上映スケジュール・予約はこちら

上映期間

2025年3月1日(土)、2日(日)、3日(月)、5日(水)、8日(土)、9日(日)、10日(月)、11日(火)、15日(土)、16日(日)の10日間

【料金】

4作品通し鑑賞券 6,000円

一般・シニア   1,800円
25歳以下      1,300円
18歳以下      500円
同作品リピート割 1,000円
福祉手帳割(介助者1名まで割引適用)1,000円

【上映時間】

なみのおと
142分(2時間22分)

なみのこえ 気仙沼
109分(1時間49分)

なみのこえ 新地町
103分(1時間43分)

うたうひと
120分(2時間)